修行してお悟りを開いたらすごいことが起きるだろう。

こんなことが起きるに違いない。

・・・普通のひとは、悟ったら、こういうすごいことが、すごい人になる・・・と期待します。


ですが、禅の言葉に「悟了同未悟」という言葉があります。

この意味は、悟りをひらいても、悟らないのと同じである、ということです。

例えば、本人が悟りを開いたという実感があったからといって、するべき日常のことは同じです。

どんなに自分のことを偉そうに思ったって、トイレにいかねばならないし、食事をしなければいけません。


例えば、むしろ「悟った」という実感が、かえって「おごり」や、「悟り」という何かにとらわれて心が縛られてしまえば、「悟ってない」いわば「迷い」の状態と同じことになってしまいますよね。

悟っても悟らなくても、毎日、することは同じですよ、ということですね。

どうなろうと、つまり、我々は日常を生きているのです。 
つらいことがあろうと、何があろうと、それはかけがえのないことと思います。  合掌。