戦国時代に石垣作成のときにお墓を使ったという話。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150521-00000008-kobenext-l28

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201505/p2_0008046671.shtml


多分こういう新聞系の記事は、リンク切れてしまうでしょうね。
石垣に古い墓石を転用するのは、当時 当たり前のことで今までにも他の城でこうした事例がしられています。


石垣を使った城がそもそも多く作られるようになったのは、どちらかというと戦国時代の終わりのころに始まったことで、そこから数十年の間に、石垣を使った築城が全国的に行われたことで短期間に大量の石が全国で必要とされたわけですから、石の確保が課題となり、墓石などが使われたと考えられます。

また、墓石といっても当時は先祖代々の墓ではなく、個人それぞれで墓を建てることが多く、
長い中世の数百年間を経れば、各家の墓ではないですから、所有者のいない墓も想像以上に多かったと思いますね。


しかし、当時のひともそれでも、罰当たりと思ったのでしょうか。

記事では書かれていませんが、

当時の築城術で、墓石の転用の際にみられるのが、墓石をひっくり返して置くことでした。記事にある兵庫城も墓石があえて、ひっくり返しておかれています。
(※状況説明のために記事に書かれた絵では、そのまま置いたようになっていますが、ちゃんと写真をみると上下 ひっくり返して置かれています)。


これは、上下逆転・死の反対は生、という発想でしょう。

墓石を築城に使うのは縁起が悪い→上下、ひっくり返して、縁起を良くするということだと思われます。

死の象徴である墓石を逆さに置くことで、不死 つまり、縁起の良い城としたとも考えられます。


こういう逆さまにすること、普段と逆にすることで呪術的効果を得ようとするのは、おそらく当時の人間としては普通の発想であったと思います。


やはり兵庫城の石垣も墓石が逆さ向きにひっくり返っていることに注目です。

こうして、呪術的手順を踏んで、縁起の良いように考えて、石垣としています。


もしこの墓石の裏にある文化的な背景や時代的な背景を知らずに、それを現代人の都合のよいように解釈して、「昔の人も罰当たりだったから今の現代人も罰当たりなことをしてよい」との免罪符としてしまえば、
生きるために石を確保するために必死だった当時の人々の思いを理解することは出来ないでしょうし、本当に罰当たりなことをしているのは現代人ということになるでしょう。

家や井戸の基礎に墓石を使うこともあり、それは、石材の確保という実利面だけでなく、死の象徴を封じ込めるように家を建てる願掛けとみることも出来ますね。

いずれにしろ、今後、研究がなされるようですから、その成果は楽しみですね。
素晴らしい研究になりそうです。